定価 ¥1050 中古邦楽CDモーニング娘。誕生10年記念隊 / 僕らが生きる MY ASIA
| 通常版 2007/01/24 ついに10周年、人気メンバーとのコラボが始まる | |
第6章 アップフロントアジア戦略の幕開け
吉澤ひとみの卒業が告知され、続くは「安倍・飯田・後藤と新垣&久住」によるモーニング娘10年記念隊の結成。 が、続く3月。ジュンジュン・リンリンの中国人メンバー加入により熱烈な思いは弾け飛んで転げまわって宙を舞い空を裂き闇を降臨させ解脱の域に達した。 オレ達は 「10周年という夢を見ていたんだよ」としか思えないオーダーに、折角の記念隊は7か月ほどで消えていく。 小学生から芸能活動をしていたリンリンは、カタコトでも日本語の会話が出来るがジュンジュンに至っては日常会話どころか歌詞の意味すら理解できない状態だ。 ジャスミンティーや小籠包とかで会話する吉澤 18歳のジュンジュンでは言語取得のハンデは極めて高く、どんなに勉強を重ねても最後まで流暢な日本語は披露する事は出来なかった。 そして吉澤の卒業で4期の青空期は終わりを告げ、5代目リーダーに5期を飛ばして6期の藤本就任によりアップフロントアジア戦略が開始する。 アップフロントがアジアを重点に置くには、大きな理由があった。 元々モーニング娘は結成当時から「アジアライブin上海」に出演するなど、主に台湾や中国の人気が非常に高いのに加え、日本の音楽市場はYoutubeに推されてCDが売れなくなり活動する利点は少ない。 まだ日本での動画サイト普及は遅れていたが、業界の先はもう見えていた。 ここで動かなくては芸能事務所としても、今後のモーニング娘のためにもならない。 更に拍車をかけたのが2004年から始まった韓国流入制限の4次開放。 反日法のせいで今まで手を伸ばせなかった韓国市場にCDを販売できるようになり、アジアへの戦略が容易になった。 元々、韓国での販売市場は音楽業界でも悲願だった。 99年に少数席の日本人歌謡公演が解禁され、第1号の小室哲哉が「韓国の地」にて戦後初のコンサートを行った。 翌年に何故か日韓親善大使に選ばれたチャゲ&飛鳥による大規模公演が開催される。 そして、次なる音楽業界の大戦略に立ったのがダウンタウンの浜田氏のプロデュース「浜田エージェンシー」にて結成された4人組少女ユニット「BONITA」 歴史教科書問題により結成から僅か1年で消えたユニットだが日韓の歴史にとっても非常に重要なアイドルで、ハングルという言葉自体あまり馴染みが無かった日本と韓国が繋がったきっかけとなった成功例である。 そして、2004年に待望の日本語CDの韓国発売が解禁されYoutube効果でモーニング娘の名前は広まった。 足掛けとなる韓国でのセールス活動を続ければ、先に待つのは10億円市場の中国だ。 幸い5期メンバー新垣は韓国語が得意で日常会話もこなし、迎える新メンバーは生粋の中国人。 光井は批判を受けたとはいえ、ダンスや歌の覚えは非常に早く少々動きは固いが即戦力としても申し分ない。 知名度と吸引力のリーダー藤本による10名になったモーニング娘はアジアを制するべく、アップフロント大戦略の波に乗った。 |
吉澤の卒業と裏切りのミキティー
ジュンジュンリンリン&光井加入で人気を落とし、頼みの小春は盲腸で過労。 背負う高橋も5期が半数になった事でやる気を落とし、唯一のレギュラー番組ハロモニまで30分に短縮されてしまい、テレビからはますます遠ざかる。 いいえ、屋台骨が揺らいだところでリーダー藤本が居るし私達は大丈夫。 結成も10年、目指すはアジアを制するモーニング娘。 台湾と韓国の販売許諾も取得し、全シングルを合わせた楽曲を一度に披露する事でモーニング娘をアジアに広げていくための準備は整った。 新曲の「女に幸あれ」を担うは新リーダー藤本美貴。リードボーカルもセンターポジションもジャケット写真も宣伝も、もちろん全部藤本メイン。 彼女さえいれば何とかなる、彼女こそはモーニング娘の救世主だ。 が、 モーニング娘リーダーとして就任して20日後、お馴染みのFRIDAYで岩盤浴デートを報じられた彼女はそ知らぬ顔で「翌日から控えていたGAMのツアー」に向かい、 モーニング娘ではなく「GAMの公演」で脱退の報告をし、ファンを無視したまま裏切った。 6月に発売予定のアロハロDVDは延期となり、メンバーに戦慄が走る。 スキャンダルに巻き込まれ続きのヤングタウンはラジオ経験のある道重がレギュラーに収まり、持ち前のトークをさらに鍛え始めた。 で、 当の藤本大先生がスキャンダルで脱退するのに何故かGAMの活動は続きファンクラブツアーも行い、大親友の松浦亜弥とニコニコ顔で写真撮影やライブを行い、そりゃあもう超ご満悦でライブは終わる。 前回の吉澤同様、準備期間のないまま新リーダー高橋愛は就任となった。 |
・第7章 秋元康の逆襲とニコニコ動画の登場 |