昭和時代の高崎駅
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昭和の群馬と言えば、音楽の街「高崎市」の玄関口を思い出す。 今では赤羽楽器や名曲堂も姿を消してしまったが、古き良きあの空間は漆黒の珈琲と共にあった。 ほとんどが閉じてしまったその門戸を思い出すように、名店の火を灯していく。 |
高崎と言えば誰でも思い出すのがゆったりとした回転レストラン「スカイラウンジ」下から見上げる分には早そうに見えるが、食事を実際にしてみるとそうでもない。一時期は跡地の庭園部分を公開していたが現在は入る事も出来ない。 | |
| 今ではライブハウスとして活動を続けている地下も、昭和の時代は雑居ビルのように多くのお店とパブが栄えていた。 特にLadyfastの大きな看板は、閉店後も長い間鎮座していたのも記憶に新しい。 |
裏側は割烹料亭の五万石が支店を作った際の抽選品の一覧。 共通のお食事券を記念に持っている人は今も居るのだろうか? |
音楽センターとスズランの前、という好条件の立地に長い間店を構えていたのが「喫茶いわと」 後に記載する「あすなろ」と並ぶ音楽の街の象徴ともいえる名店だ。 | |
| マッチはコースターと同じ古城のイメージ。デザインも当時としては画期的な物が多かった。 |
下記は「ティールームいわと」時代の物。今見ても素晴らしいデザイン。 裏側のシンプルさも、また味わいを出している。 |