群馬フードサービスとタイヨーレンの歴史


□男のメンチカツパン
 大人気の新商品で、市役所の売店などでも評価が高い
 ガッツリと挟みこんだメンチカツとレタス
 これ一つで男子も満足、お昼過ぎにはいつも完売だったりする。

第5章「トリアノンの登場」

 選挙戦の結果を悲嘆にくれた松浦氏は、長年の功績を称えられ昭和37年には「藍授褒章」を受賞するが、どこか寂しい遺恨を残したまま、次代へと製パン業を引き継いでいく。

(跡地は自転車置き場になっている)

 戦後の流れにより屋号も「松浦パン」から、フランスのベルサイユ宮殿離宮から取った「
トリアノン マツウラ」へと変わり、本店も現在の「さやもーる」と呼ばれる商店街に移転し、新しい群馬の製パン時代へと歩んでいった。
 高崎発祥とされる「バンズパン」等の登場に、オリジナル食パンの「太陽連(タイヨーレン)」が人気を博し、店舗数も給食の拡大と共に増えていった。

「バンズパンちゃんを見つけだせ!高崎の誇りにかけて」より」  

 特に
「バンズパン」は給食に取り入れられた事で知名度が増して、地方のローカルパンとして全県に根付き。現在でもコンビニのコラボ商品に取り上げられたり、イベントも開催される等人気は非常に高かった。

(前三百貨店のロゴと広告)

 戦後の群馬の商業化はどうだったかと言うと、戦後の駅の拡張と共に商店街の一角にはデパートが進出、昭和39年には前橋に三越と提携した「
前三百貨店」が登場し、高崎には「藤五百貨店」が店を構えた。

テレホンカード「OMIYA Takashimaya 」 AUTUMN FESTIVAL’91


 昭和43年には、「スズラン百貨店高崎店」が誕生。
 50年代に入ると「ニチイ」「ダイエー高崎店」「高崎髙島屋」と巨大な建物が駅の周りを占めていく。


 都市のデパート拡大により、商店街を始めとする小売は店を畳み始める店舗も増えたが、松浦パンは逆にこの流れに乗り、次々と百貨店内にテナントを設け始めた。

(青が印象的だった当時のロゴ)


 昭和57年には、高崎駅は新駅舎を完成させ、「駅ビル高崎モントレー」の登場により、駅そのものがデパート化する等の大幅な駅拡大を続けていく。
 単なる製パン業、給食作りだけでは生き残れない。新しい商売と向き合うパン作りが求められていく。

(新駅舎となった高崎駅、達磨の色がまだ新しい)

 前橋フランスパンに倣い、フランス国旗をモチーフとしたデパートに相応しい店舗作りが進み、「いつもやきたて・・・世界のパン」をキャッチフレーズに、新たなる松浦パンは動き出した。

 主力商品の「
太陽連(タイヨーレン)」をメインに据え、バターをふんだんに使った高級食パン「バタートップ」などのリッチメニューも考案。フランス国旗色をパッケージにした「食パンラスク」を定番商品にし、デパートで買いたくなるパン店舗づくりが求められていく。
(当時のブランデーケーキ、この頃からお土産物も意識していた)

 販売員は女性メイン、製造部門は男性と振り分けられ、群馬県民の高嶺の花だった「高崎高島屋」にも店舗を構えるまでに成長。
 最盛期は、高崎前橋以外に国定や伊勢崎方面にも
合計で10店舗以上も構える、巨大なフランチャイズチェーンが誕生した。

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