モーニング娘。6期最強伝説の歴史
この歴史は、雑誌やインタビュー記事を元に書かれた非公式な読み物です。特有の「ジョーク」 (例.魔法が使えるんです等) を含めて纏めているため、実際の史実とは大幅に異なります。 また、本文を他サイトや商業誌で無断掲載するのはご遠慮ください。 |
第1章 モーニング娘結成までの歩み 前編
お笑い番組だった浅草橋ヤング洋品店に小室哲哉が参戦し、夢のオーディション番組ASAYANと名前を変えた。 dosや天方直実に鈴木亜美など、全くの素人や元々の実力者たちがスター階段を登りつめるその姿はスター誕生で中森明菜や山口百恵を応援していた世代をひきつけ、若者の間でASAYANオーディションに応募するのが一種のステータスとなった。 小室哲哉が去った後、新たなプロデューサーとして選ばれたのが、当時この番組のエンディングを歌っていた「シャ乱Q」 シングルベッドやズルイ女が大ヒットし、乗りに乗っていた所の「女性ロックヴォーカリストオーディション」に若者たちは夢中になり、1万人近い応募が殺到。 合格者はたったの一名。視聴者は合格者「平家みちよ」の今後を見守り続ける・・・。はずだったが、本当に注目されたのはオーディションに落選した5人の少女たちだった。 中古直筆サイン入りポストカード 「CD 愛の種」予約特典 中澤・飯田・安倍・福田・石黒。年代も性格もバラバラな少女達は選考の時点で人気が高く、特に安倍はデビューすらしていない段階で固定ファンが付いた。 ロックバンドとしては難しいが、アイドル路線なら十分にやっていけるのでは? 視聴者の声を受け、メヌードを手本とした「次々に加入と卒業を繰り返すアイドル」という奇抜な構成のユニットが考案され、森高千里などを手掛けてきたアップフロントの山崎氏・吉本興行・電通を含めた3社が集まりアイドルグループ「モーニング娘。」が結成された。 まさかの五日間五万枚達成という嬉しい誤算もあったが、テレビ局や事務所は変化し続けるモーニング娘を大歓迎で迎え入れた。 結成当時から福田はダウンタウンに、飯田はとんねるずの石橋に好かれ大御所芸能人の反応も良く、時代もカセットテープから8cmCDの時代に変化しCDの需要が高まった事にも助けられ、和製メヌードグループ「モーニング娘」は、国民的アイドルへと成長を遂げた。 |
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