〇1986年 前橋駅が高架化事業によって取り壊され南口を新設。 洋風木造の駅舎が大変美しく、観光名所として全国でも有数の名駅所だったため、市民の猛反対を押し切っての建設となった。 高速道路が前橋ICまで整備された事や駅前の工事の影響もあり 長崎屋・丸井・前三百貨店が一斉に閉店。 これを重く見た前橋市中心商店街連盟は「Qのまち前橋」を結成し、駐車サービスなどを行う。 〇1987年 中心市街地に西友別館のWALKオープン 前橋駅北口にイトーヨーカ堂前橋店オープン 市街地から一キロ以上離れた、しかも駅前という立地条件の良さに中心市街地商店街は商工会議所や市役所に猛抗議をしたが、前橋市はこれを無視。 怒り狂った商店街の人々は店舗を更地にし次々と郊外へ転居し、商店街は次々と空き店舗が目立つようになった。 |
前橋駅前天然温泉ゆーゆーオープン 前橋市の衰退を嘆いた市民が私財をなげうって、駅から徒歩3分の場所に温泉を発掘。現在も愛されている天然温泉 ○2003年 西友LIVIN閉店 ○2004年 前市長の高木氏の登場 自動車メーカーのダイハツ本社と工場が、前橋駅より撤退 平成の大合併により、大胡・宮城・粕川が前橋市と合併 ○2006年 ベイシア本社が前橋へ移転 WALK館閉店 テアトル前橋西友閉店 ニチイ前橋店が閉店し、群馬大学附属病院の近隣に前橋サティとしてオープン 前橋市から映画館が一切消滅する(全国の県都で唯一) 中心市街地から、前橋スズランデパート以外の百貨店は消滅した ロッテリアが前橋市から撤退 |
けやきウォーク前橋オープン 前橋プラザ元気21オープン 前橋駅に「E'site前橋」オープン けやきウォークの開店により前橋市に映画館が復活、オープン時の来場者は約十万人 ○2008年 ヤマダ電機本社が、高崎駅前に移転 全国都市緑化フェア開催 イーサイト前橋オープン ○2009年 赤城山を有する富士見村が前橋市と合併 赤城高原豚をアピールするために「糸の町前橋から豚の町前橋」へと、地域活性計画が始まる。 駅のバリアフリー対応に伴い、前橋駅北口の大規模改修工事開始 工事の区画整理により、駅前の吉野家・マツキヨ等の店舗撤退 前橋駅前の三年間に渡る工事により、イトーヨーカ堂は苦戦を強いられ撤退を決意 空き店舗に前橋スズランの新館が1F部分に出店、地下にフレッセイ出店計画開始。 継続テナントも決まり、スズランとフレッセイによる前橋発祥企業の総合デパート計画が開始。 |
前橋サティ閉店 ベイシア前橋南パワーモールオープン 豚の町のアピールイベントとして、T1グランプリ初開催 イトーヨーカ堂前橋店撤退 スズラン 11月出店へ http://www.jomo-news.co.jp/ 跡地は、フレッセイとスズランによる共同利用が決定。 配置図面が決まり、資材の搬入と店員の雇用と求人も実施。 スズランはテナントの割り振りなども始め、フレッセイは既に面接まで行っていた。 |
http://www.raijin.com/news/ しかし、地主の中の曽我製粉社長の反発により白紙撤回となり、スズラン側は法的措置も検討。 既に新規採用済みのフレッセイは、他店舗へと人員転換させられる。 ヤフーニュースなどにも取り上げられ、その動向が注目されたが結局どうにもならず、イトーヨーカ堂跡地は2年間に渡って前橋市廃墟のシンボルとして君臨し、 前橋の恥とまで呼ばれた北口前のロータリー工事は、2013年まで約三年間続いた。 |
群馬ディスティネーションキャンペーン開催 100年に一度の記念行事のため、県内各所で観光推進キャンペーンが行われた。 高崎駅は3億円かけてSLC6120を復活させ同時発車実施。 乗車券が予約しても買えない、記念Suicaが20万で取引など計り知れない経済効果をもたらした。 前橋駅は10億円かけて相変わらず工事を行っていた為、人を避けるようにフェンスを設けた。 株式会社やまきがイトーヨーカ堂跡地の再興に乗り出し、前橋グランドステーション計画を発起。 新テナントの名称を一般公募で決める事に。 前橋リリカが旧サティー跡にオープン |